夢から覚めたら藤谷康晴は電信柱の上にいたのである。正確には電信柱のてっぺんではなく側面にしがみついていたという体である。⁉という違和感と同時に、いやそんな疑問が訪れるよりも速く、体は電柱上の居住まいにフィットして無意識の納得感が藤谷康晴の体を支配した。重力をほとんど感じないその感覚は小さい頃太っちょであまり木登りは得意でなかった藤谷康晴にとって不思議なほどに居心地が良い。這いつくばった状態から見える風景は硬質な灰色の壁。外界を把握するにはあまりに不都合な体勢であるが、左右に首を振ってみればそこには見知った風景が広がっていた。毎日見る近所の家や精神病院、最後となってしまった雪捨て場の空き地、そして自分の家。という事は、自分は今我が家の斜め向かいの電柱にいるという推理がなされ、藤谷康晴は初めて状況を把握するに至った。
とりあえず上に行く。藤谷康晴には上下運動しか許されないわけで、何のためらいもなく電信柱を登り始めた。何のためらいもないとは地上に降りるという選択肢を即座に捨てたという事である。体の自由が待っている下界は恐怖の対象として認識したのである。どうやら電柱にしか住めない生き物になってしまったようである。電柱の上から見渡す世界は長年暮らした住宅街の風景を新鮮なものに変えるに十分なものであった。これが自分の新しい世界、まるでコインの表を裏に返しただけのような反転装置の軽妙さに不思議な感動を覚え藤谷康晴はポツリと涙した。ふやけた視界の片隅に近所の小学生の子供が映る。少年は藤谷康晴と目が合い一瞥を喰らわして走り去ってしまった。どうやらこの反転したオルタナティブ・マイ住宅街では今の自分は当たり前の存在としてあるらしい。自分は電柱の生き物なのだとこの時藤谷康晴は悟ったのである。
そして運動のベクトルは横軸へと広がりを見せる。左右に広がる電線の右側にはカラスが一羽止まっている。藤谷康晴が勤めている食肉加工場の残渣廃棄場に群がり、食い扶持を狙うあの黒い鳥。首をカクカクさせながら自分を見つめてくるこのカラスに対し、藤谷康晴は人間の時には決して感じたことのなかった対等な敵対心を抱き始めた。この無用であろう対抗心で藤谷康晴は細い電線の上をカラスに向かって軽業師のごとくすたすたと歩き始める。無益なケンカの幕が上がるかその瞬間、一羽の可愛げなスズメが藤谷康晴とカクカクカラスの間に降り立つ。一本の黒い線、その上に等間隔の三つの点、黒い線の両端に直角に降り立つ二本の太い線・電柱。その電柱の片一方の足元には民家から集約された消費の創造物・燃えるゴミ。たかる野良猫。カクカクカラスは藤谷康晴に対する興味を失い直線的に燃えるゴミへ急降下、野良猫がミギャアァァァーッと鳴く。下界の騒々しいケンカの上空、じりじりと照りつく太陽の光に照らされた電線の上のシルエットは一つ。藤谷康晴はスズメを捕まえて丸のみしていた。スズメを捕食する電信柱を住みかとする生き物に生まれ変わっていたのであった。
そして電柱のまものは電線伝いに電信柱から電信柱へと同じ仲間を探すために渡り去っていった…そう、心の接続を求めて。電気信号上の孤独。そこはフェイクタウン。
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